itukaのブログ

穏やかな日々に感謝して。シニアの備忘録

麒麟がくる 第18話

麒麟がくる 第18話
「越前へ」

明智の莊をすてて逃げた十兵衛。
迷わない感じでした。
いつか明智家を再興するのだと決意したからですね。

そして、帰蝶の計らいで現れたのは旅芸人一座の女座長イロハ太夫尾野真千子)でした。

(途中で、駒を助けたのは十兵衛の父だと判明しました)

太夫は、光秀たちを越前へと導きました。

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太夫と越前の関係は何?と思ったら

🍀朝倉義景の継室(後妻)が公家の近衛植家(藤原北家近衛流)の娘で、
🍀太夫が、近衛家出身で(家出娘と言ってました)朝倉義景と知り合いだった、ということでした。

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朝倉義景の居城のある越前一乗谷は、戦乱により荒廃した京から多くの公家や文化人が避難してきていて、文化、経済が繁栄していました。

尾張では、織田信勝(信長の弟)の家臣・柴田勝家が、信勝の謀反を信長に報告し、
報告を受けた信長は弟を排除(自害か暗殺)。

信勝の後ろ盾だった斎藤義龍はどうするでしょう。


予告では信長が危ない?
信長の妻・帰蝶に助けられてる光秀ですから、放ってはおけないですよね、どうするのでしょう~

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予告に、将軍足利義輝が京へ戻る、とありました。
義輝の館は、二条御所といわれますが、この「御所」は天皇(朝廷、帝)の居宅・内裏ではありません。

1331年から1869年(明治2年)までの間、天皇が居住し儀式・公務を執り行った場所は「土御門東洞院殿」で、信長や秀吉により整備拡張されて現在の京都御所となりました。

「土御門東洞院殿」
(つちみかどひがしのとういんどの)京都御所は、現在は宮内庁京都事務所が管理しています。

足利義輝は将軍就任翌年に従四位下参議・左近衛権中将に任ぜられてます。
内裏への参内は、記録に残るのは5回だそうです。
後に織田信長は義輝の朝廷軽視が非業の死の原因であると述べたと『信長公記』に書かれているそうです。
・・参内したくてもできない情勢でしたからね、軽視したのではないとは思いますけど・・足利一族の館を城じゃなくて御所と称してた?のはヤヤコシイですね。


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来週
将軍足利義輝が戻った京は?
斎藤義龍は?
信長は?
光秀は?
どうなる~?

楽しみです!


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